キテキ

はづき真理のブログ

スポーツを「見世物」の域に留めおくこと

春の暴風雨だった20日と、1月1日ぶりの緊急地震速報が来た21日分などを。

20日の夜7時のNHKニュースで、なぜかニュースではなく野球の開幕試合を中継されて、なにがどうなっておるのか、という気持ちになりました。スポーツニュースというのは、本来もっとマイナーというか、ニッチ? なものであると思うのですが…… でもアメリカのプロスポーツリーグともなれば、動くお金がでっかくて、経済効果というものも高く、その経済効果とやらは国の基盤を強めてくれたりするのか? プロスポーツ振興が福祉の充実になったり? する?? の??? いやそれにしたってアメリプロスポーツリーグで活躍する選手の国籍がどうであっても、わざわざ公共放送のニュース枠を中継に割くことはない。と思う。

個人個人の欲望に合わせた消費を設計するよりも、「大勢(おおぜい)」がおなじ欲望を持つように設計したほうが、動くお金も大きいし効率がいい、のだろう、そのくらいの認識は自分にもある。でもスポーツニュースはあくまで「スポーツ」ニュースという限定的な、愛好家に向けた、マニアックなものである自覚がほしいです。

ところでわたしはフィギュアスケート競技を(直接みたことはないから画面上で)観るのが好きですが、今シーズンは試合結果すらまんぞくに追えてないまま世界選手権がはじまってしまいます。

ISU World Championships 2024

やりたいことをまっとうできてないなあ、なんてしゅんとした気持ちになっていたのですが、翌21日にはその野球に関していろいろ金額の大きな話が報じられていて、なんか、なんか…… 渦中の人は選手ではないですけど、深く関わっている人であり…… いろいろまとまっていなくて飛躍もありますが、スポーツという「見世物」は、ちゃんと「見世物」であるし、それでしかない、という認識を、やる人もみる人もきっちり持っておくことが大事なんじゃないだろうかとか、いやもう、なにもわからん。虚ろな数字がただただ大きすぎる。いろいろと、なんなのだろう、という気持ちがより合わさってこんがらがっていきます。そしてあくまでスポーツにまつわる醜聞でしかないのだから、あつかいは「スポーツニュース」として限定的であってほしいものです。いや、医療ニュースとして扱われるほうがいいのかな。

そしてフィギュアスケートではロシアの競技に関わるおとなたちが若い選手たち、つまり子ども、を「信念」を持って「使い潰して」いることがあきらかになっていて、それに関してはもうとっさに叫びだしたいくらいに残酷で、無残で、どうしたらいいのかわかりません。これは深刻な児童虐待として「スポーツニュース」の枠にとどめていてはならないし、そしてこんな所業が行われるのは「スポーツ」をただしく「見世物」の域にとどめておけなかったからでしょう。

晴れだったり小雨だったりまた一瞬晴れたかと思えばざんざんどどどと降ってやんでのちは豪風だったりした20日と、茨城県震源だと揺れが緊急地震速報よりはやく到達するんだなと能登のときとのちがいを思った21日をふりかえって、かんがえたことでした。