キテキ

はづき真理のブログ

記録(12月8日分)

きのうの記録に、と思って、でも書くことが浮かんでこなくてぽかーんとしている。

8日は日付が変わってすぐに以下の記事を更新した。そもそもここ(はてブ)のアカウントを持とうと思ったきっかけの企画だ。9月24日から、この下書きがずっといちばん下に残っていた。

以前旧Twitterでもこぼした内容とも重複するが、企画から逸脱しすぎない範疇で、パーキンソン病認知症を患っていた父に対する当時の自分の気持ちをなるべく平坦に、できるだけ正直に書いた。

じつは大枠を9月に書いてから、7日に後半やや詳細を加筆しそうになったのだが、結果まだまだまだ新鮮に怒れることが判明した。自分の執念深さを目の当たりにして、ほっとしたというか、まあそうですわな、みたいな気持ちで、加筆はやめておいた。相手が亡くなっていても、その瞬間に相手に抱いた感情は、そこそこ褪せずに残っている。わたしが死ぬまで、この感情はわたしに灯りつづけている、と思うことが、心強いというか、上にも書いたが、ほっとする。いつか、エッセイなりなんなり、なにかのかたちにするかもしれない。

こうやってパーソナルな作業に身を沈めているあいだにも、世界が最悪を更新していて、そのことへの気持ちをタイムラグ少なく言語化することもできてなくて、ああ怠けているな、と思う。自分は怠けることを悪いとは思わないのだが、世界全体に蔓延る不平等は、生きてるものたち全員が、負わされすぎている人のものをちょっとずつ分けてもらう必要があって、そこは怠けていられないんだと思う。「怠けてはいけない」というと能力主義に繋がりそうで、適切ではないかもしれないが、いまのところそこは怠けられない、みたいな気持ち。

上間陽子の『海をあげる』は、自分が上に書いたようなことどもを表したことばだ。

これは12月8日の記録のはずですが、いま9日の自分の思考の出力になってるな……

あ、今年春に終えた家のリフォームは、じつは玄関ポーチがまだ手つかずで、きれいになった部分と旧来のままの部分の境がガタついている。文字通りガタつきが存在していて、引っ越し後たびたび突っかかってきた。そこを直そうと先日ようやく腰をあげ、きょう(って書くのもへんだが)は業者の人が現地検分みたいな作業にやってきたのでした。

家のなかの段ボールも減らしたいね📦📦📦