キテキ

はづき真理のブログ

2014年2月14日、雪予報

ファン有志による「ナショナル・シアター・ライブ(NTLive)アドベント」企画参加エッセイ、8日目です🎄

「あしたはわりと激しめの雪」

 この予報はヤバい。埼玉県の中央部、というより北部の南端って感じの居住地から、TOHOシネマズ六本木まで往復しようという日に。「バッチさん観られないかもしれない」わたしと母は、一度はそう覚悟した。2014年2月13日のことである。

 ナショナル・シアター・ライブとは《英国ナショナル・シアターが厳選した、世界で観られるべき傑作舞台をこだわりのカメラワークで収録し各国の映画館で上映する画期的なプロジェクト》*1である。その日本版の第1弾は『フランケンシュタイン』、怪物と博士をベネディクト・カンバーバッチジョニー・リー・ミラーというふたりの「シャーロック俳優」*2が役替わりで演じるという。カンバーバッチに関していえば、映画『ブーリン家の姉妹』や『つぐない』で見知った脇役を経てドラマ『SHERLOCK』での華やかな主演(のひとり)を存分に楽しんだころだった。わたしの思いをわかりやすく括れば、「バッチさんの舞台でのお芝居も観たい」である。

 そのころ、我が家では病気だったり要介護認定を受けてたりする親族が全員存命だった。自宅に父、自転車で30分の距離の介護施設にふたりの祖母、都内にひとり暮らしの基礎疾患持ちの叔父。叔父が主に必要としていたのは家事家政労働だったから「介護」とはいわないかもしれないが、わたしとしては4人まとめて被介護者である。主たる介護者は母、従たる介護者はわたし。

 同じ施設の別フロアに入居している祖母ふたりは、すでに家族による日常的ケアからは離れている。ただこのとき、母方の祖母が体調を悪くして入院していたため、その手続きや見舞いでいろいろと動く必要があった。母もわたしも週5ではないにしても働いている。家を空けることも可能なように、父のショートステイの日程を調整した。祖母の入院生活の展開にあわせてさらなる延長もあり得るし、それが希望通りになるかもわからない。あと今回この文を書くにあたって確認したらついでとばかりにソチ五輪期間中で、フィギュアスケートにわあわあ歓声と悲鳴をあげていました。いっそがし〜。

 そんななかで父のショートステイ日程調整がうまくハマり、常なら断念する夜19時台の、ふだん行かない映画館でかかる「ぜったい観たいバッチさん」なのに、雪である。ここにきて夜の上映回のみというのが痛い。雪はその夜にかけて強くなるとかいうので、交通機関がとまる可能性もある。そして事実確認できるソースを示せないまま勢いで書いてしまうが*3、なんか当初、ナショナル・シアター・ライブのチケットは映画館サイトでは購入できなかった。チケットぴあでのみ取り扱いがあり、座席指定もできなかった。そんなことある? と思うのだが、自分のうろんな覚え書きによるとそうである。すでに購入済みだった14日夜のチケットがどういう形態だったかも覚えていない。しかし雪予報はあきらかにヤバいのだった。

 ところがそんな不安に揺れてた13日の夜にTOHOシネマズ六本木のサイトを見てみたら、13時台の上映回が出現していて、しかもふつうにその場で購入できるようになっているではありませんか。「出現」と書いたが、たしかに以前はなかったのにいまみたらあった、という気持ちを覚えている。どうする? 買っちゃう? 行っちゃう? 行っちゃえ!

 そんなわけでわたしと母は夜の回を捨てて、昼の回の鑑賞を決行することにした。14日当日は朝、まず祖母の病院に行って、そこから直で駅に向かっている。雪はそのときから降っていた。

 ところで六本木ヒルズといえば、森タワーの53階に森美術館がある。わたしは常々、チケット売り場に行くまでにまず塔みたいなものをぐるりとのぼってそこから空中渡り廊下的通路を進むあの動線に騙されている気がしてならない。わたしが場慣れしていない物知らずだからああいう動きを取らされているだけで、もっとスマートな最適ルートがあるんではとあやしんでいる。それと似た思いを、同じヒルズ内のTOHOシネマズ六本木にも感じたのがこのときだ。

 雪が降るなか、まずTOHOシネマズが入ってる建物にいたる外の階段をのぼっていった。この映画館にくるのは初めてだった。この階段は楽しむ用で、歩くのに不自由がある人や荒天時用に、どこか建物内から垂直移動できるルートがあるんではないかと訝しんだけど、どうも正しい道らしい。そこから建物にはいってエスカレーターをあがったり時間を遡る際にみるまぼろしみたいな廊下をとおったりどこかのタイミングでチケットを発券したりした。何番スクリーンだったかはおぼえていないが、入った空間は広大といいたくなるほど大きく、最後列に近い位置に席をとったわたしたちの視界は、ほぼ空席だった。かなり前方の席にひとり客がいたきりだったと思う。

 すでにあった分を反故にしてまで前日に急遽とったチケット、荒れ気味の天気、人のいない映画館。ちょっと浮き足だった心持ちで臨んだ『フランケンシュタイン』(怪物ミラー、博士カンバーバッチ)鑑賞は、すばらしい没入感を齎してくれた。

 舞台って、おもしろい。

 セットの妙を、曲の印象を、俳優の芝居を、なんておもしろいんだろう! と語り合いながら建物をでた。雪はずっと降りつづいていたようで、段差がわかりにくくなった階段を横向きに一段ずつ、足を揃えながらおりた。行きは動いていた階段横のエスカレーターは止まっていた。電車は地下鉄以外も運行していて、問題なく帰れそうだ、昼の回に来てよかったと頷きあった。祖母の病院から着信があったことに気づいた母が途中駅で折り返し連絡し、差額ベッド代や買っておく備品の話をしていた。いつ、だれに、なにがあるかわからない。祖母ふたりに、父に、叔父。それぞれに状況や病状が異なり、必要なケアが異なり、不測の事態はいつでも、場合によっては複数同時に、起こりうる。それがわたしたちの日常で、そしてその日常にナショナル・シアター・ライブを加えることに躊躇いはなかった。これから公開されるものも、がんばって観にいこう! これ、すっごくおもしろいから!

 実際に、その年に日本で公開されたナショナル・シアター・ライブの作品を、わたしと母はすべて、作品によっては2回、鑑賞している*4

(以下、写真はすべてNational Theatre Live IN JAPAN 2014 劇場プログラム*5のものです。本記事に対して従属的な引用の範囲内と判断し、また画像から読みとれる文章は公式の作品紹介と考え、特にマスキングせず掲載しています)

劇場プログラム全6作品のプロダクション情報(英語)見開き


フランケンシュタイン
ジョニー・リー・ミラー/ベネディクト・カンバーバッチ役替わり主演

 Introductionメアリー・シェリー原作のゴシック小説を下敷きに、ニック・ディアーが脚本を担当した新しい「フランケンシュタイン」は、映画「スラムドッグ$ミリオネア」で第81回アカデミー賞作品賞を受賞したダニー・ボイルの演出により、2011年にナショナル・シアターの中でも最大のキャパシティを誇るオリヴィエで公演された。主演のベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーは、ヴィクター・フランケンシュタインと彼が作り出した「怪物」を相互に演じ、それぞれの配役において、異なる魅力を引き出すことに成功した本公演のチケットは、暖く間に売り切れた。その人気を受けて世界各国の映画館での上映を開始すると、限定的な開催にも関わらず、約50万人の観客動員を記録。この前例なき大ヒットを受け、日本でも2014年からスタートする「ナショナル・シアター・ライヴin ジャパン」6作品のオープニングを飾る。Story大きな鐘の音に包まれた小屋から鼓動が聞こえ、“何か”がこの世界に誕生したことを告げる。ヴィクター・フランケンシュタインは、その手で生命を作り出すことに成功した。その生命は優れた能力と心を備えていたが、「怪物」と呼べるくらい、醜かった。ヴィクターは、自らが作り出した「怪物」の姿にうろたえ、逃げ去った。一人になった「怪物」は、盲目の老人との交流を通じて言葉を学び、知識を蓄え、新たな感情を覚える。やがて「怪物」はヴィクターに会うため、ジュネーヴに向かう。再会を果たした「怪物」は、ヴィクターに「自分の伴侶となる女性」を作ることを求める。そうすれば、二度と人間の前に現れないと……。ヴィクターは「怪物」の要求をのむ。それが更なる悲劇の始まりとは知らずに。


コリオレイナス
トム・ヒドルストン主演

 Storyケイアス・マーシアスは、ローマを攻撃する敵との戦争に参加する。相手の指揮官であるオーフィディアスとの一騎打ちの末、ローマに勝利をもたらしたマーシアスは、コリオライの砦を陥落させた功績から、新たにコリオレイナスという名を与えられる。勝利の立役者としてローマに凱旋したコリオレイナスだったが、民衆を蔑む元来の性格は変わることがなく、反逆罪で訴えられたあげく、ついにローマを追放される。復讐に燃えるコリオレイナスは、宿敵であるオーフィディアスのもとへ身を寄せ、協力してローマを攻撃することを誓う。こうしてローマの脅威となったコリオレイナスの元に、母と妻子が訪れる。家族の懇願を受け、和解に応じようとするコリオレイナス。ただ、彼を待っていたのは平和ではなかった。About the ドンマー・ウエアハウス ドンマー・ウェアハウスは、ロンドンのコヴェント・ガーデンの近くに位置する、251席のシアター。サム・メンデス、マイケル・グランデイジらが歴任した芸術監督にはジョシー・ルークが就き、エグゼクティブ・プロデューサーはケイト・パケナムが務めている。22年間に亘り、その類まれな芸術性で国際的な評価を築き上げてきたドンマー・ウェアハウスは、イギリスにおける主要なシアターの一つ。彼らは、多様な芸術的アプローチを用いて、古典作品及びシェイクスピア演劇を現代のイギリスやアイルランド、アメリカを舞台とした物語に置き換える大胆な発想で革新的に復活させ、近年では新たなファンを開拓している。Introduction 2013年から2014年にかけて、ロンドンのドンマー・ウエアハウスで公演された「コリオレイナス」。政治的な抗争にまつわる謀略と復讐を描いたウィリアム・シェイクスピア原作のこの悲劇は、ドンマー・ウェアハウスの芸術監ジョシー・ルークが演出を担当した。主演のトム・ヒドルストン(映画「マイティ・ソー」シリーズ、「戦火の馬」)は、血まみれになりなから、危険を恐れず戦う戦士・ケイアス・マーシアス(後のコリオレイナス)を熱演。尊大で傲慢な態度のマーシアスとは違い、民衆を対話で説き伏せようとするメニーニアスを、マーク・ゲイティス (「SHERLOCK シャーロック」)が演じる。


ザ・オーディエンス
ヘレン・ミレン主演

 Introduction映画「クィーン」でエリザベス2世を演じ、アカデミ一賞主演女優賞を受賞したヘレン・ミレンが、再びエリザベス2世に扮し、本来、決して公にされることのない女王と歴代首相たちとの謁見を軸に繰り広げるドラマ。脚本のピーター・モーガンが作り上げた会話の数々は観客の想像力をかきたて、スティーブン・ダルドリーの演出が見る者の心を刺激する。Story 60年以上もの間、女王・エリザベス2世が毎週バッキンガム宮殿で続けてきた、12人の歴代首相との謁見。女王と首相は、たとえ自分の配偶者が相手であっても、この謁見での会話の内容を決して口外しないという暗黙の約束を結んでおり、その内容は、当事者の二人しか知りえることのできない、イギリス政財界においても類をみない会議である。チャーチルからキャメロンまでの歴代首相たちは、この二人だけの時間を使い、現在の国の問題点などに関して率直な意見交換を行う。時に激しく、時に親密に……。時の首相が選挙によりダウニング街の官邸を離れ、政治の表舞台を去るときがこようとも、女王は常に変わらず、次の首相を待ち続ける。エリザベス2世が若かりし母親だった頃から現在に至るまで続く謁見を通して垣間見える、彼女の時代とは?エリザベス2世と歴代の首相たち 女王・エリザベス2世は、彼女の父であるショージ6世の崩御にともない、1952年2月6日に王位を継承。翌1953年6月2日、ウェストミンスター寺院で行われた彼女の即位式は、当時の最新メディアであるテレビを通じて全世界へ中継されるほどの関心事だった。エリザベス2世は、イギリスを含む16か国の国家の君主であり、54の加盟国から成るイギリス連邦およびイギリスの王室属領と海外領土の元首である。そして彼女は、イングランド国教会の首長であると同時に、自身が治めるいくつかの領土の信仰擁護者でもある。2014年現在、エリザベス2世の在位期間は62年間。これは、63年間に亘り在位したヴィクトリア女王に次ぐ、イギリス君主としては史上2番目の長さである。彼女はこの間、12人の首相との間で得見を行っている。


リア王
サイモン・ラッセル・ビール主演

 Story老いたリアは、彼の三人の娘に自分の国を分け与えようと決心する。三人のうち、誰がもっとも父を愛しているかによって領土の配分が決まることを知ったゴネリルとリーガンは、競い合うように父への愛を訴えかけるが、末娘のコーディリアだけは、率直な物言いでリアを怒らせてしまう。失望したリアは、コーディリアを国から追いやってしまうのだが……。この瞬間から、リアの世界は混沌に陥るのであった。Introduction「リア王」は、ウィリアム・シェイクスピアが書いたもっとも有名な悲劇の一つで、1603年から1606年の間に書かれたと考えられている。サム・メンデスが演出し、サイモン・ラッセル・ビールが主演を務める今回の「リア王」は、ナショナル・シアターの歴史の中で4回目の公演となる。初演は1986年。オリヴィエ(※ナショナル・シアターが拠点とする四つの劇場の一つ。他には、リトルトン、コッテスロー、ロフトの三劇場がある。)においてデヴィッド・ヘアーの演出で公演され、主演はアンソニー・ホプキンス。エドマンド役にダグラス・ホッジ、エドガー役にビル・ナイを配し、グロスター伯時はマイケル・ブライアントが演じた。2度目の公演は、1990年にリトルトンで行われた。デボラ・ワーナーにより演出された公演は、ブライアン・コックスがリア王を演じ、ケント伯爵はイアン・マッケラン、道化役にデイビッド・ブラッドリー、バーガンディ公にはマーク・ストロングが扮した。同劇団は、「リア王」公演中に、同じくリトルトンで「リチャード3世」を公演していたため、イアン・マッケランはケント伯爵と並行してリチャード3世も演じることとなった。ナショナル・シアターにおける20世紀最後の「リア王」は、1997年に観客席との距離が他のシアターよりも近いコッテスローで公演された。リチャード・エアが演出した3度目の「リア王」は、グロスター伯爵を演じたティモシー・ウェストも所属する劇団のイアン・ホルムが主演を務め、コーディリアにはアン=マリー・ダフ。1986年の初演に出演したマイケル・ブライアントは、王の道化役で再びステージに上がった。サム・メンデスが、「リア王」についてサイモン・ラッセル・ビールに最初の相談を持ちかけたのは、ビールが2000年にナショナル・シアターで「ハムレット」を演じているときだった。そして「リア王」は、ビールとメンデスが組んだ9作目の舞台となった。


ハムレット
ローリー・キニア主演(プログラムはロリー・キニア表記)

 Introduction ハムレットは、これまでのナショナル・シアターの5人の芸術監督全員が、在職期間中に演出を手がけた唯一の作品である。約50年前の1963年10月22日の夜、ナショナル・シアターが当時の活動拠点だったオールド・ヴィックで初公演を行ったとき、ピーター・オトゥールがナショナル・シアターにおける最初のハムレットを演じた。ナショナル・シアターの初代芸術監督であるローレンス・オリヴィエが演出した「ハムレット」は、クローディアスにマイケル・レッドグレイヴ、オフィーリアにローズマリー・ハリスを配し、デレク・ジャコビがレアティーズを演じた。この時の女官や兵士の中には、リン・レッドグレイヴとマイケル・ガンボンもいた。1975年、ナショナル・シアターの2代目の芸術監督となったピーター・ホールは、自身の最初の公演の一つに「ハムレット」を選んだ。ハムレットを演じたのは、オールド・ヴィックの初期の作品に出演し、オリヴィエ時代の後期と、1976年に完成したサウスバンクの新劇場、リトルトンのオープニングに出演したアルバート・フィニー。ガートルード役は、アンジェラ・ランズベリーだった。リチャード・エアが芸術監督としてピーター・ホールの跡を継いだとき、彼もまた自身量初のシーズンに、オリヴィエで「ハムレット」を上演することを選んだ。1989年だった。主演はダニエル・デイ=ルイス、ガートルードはジュディ・デンチだった。本作はヘルシンゲル(英名:Elsinore。「ハムレット」の舞台として有名なクロンボー城がある)でも公演されたが、ダニエル・デイ=ルイスは降板し、主演はジェレミー・ノーサム、イアン・チャールソンへと引き継がれた。イアン・チャールソンは、エイズに起因する病気で亡くなるまでの数週間、感動的な演技を披露した。海外の劇団による「ハムレット」の公演は過去2回。1987年にスウェーデンのイングマール・ベルイマン演出、ピーター・ストーメア主演で行われた公演と、1990年にイオン・カラミトルが主演した、ルーマニアのブランドラ・シアターによる公演で、いずれもナショナル・シアターの主催で行われた。ミレニアムイヤーである2000年には、トレヴァー・ナン(ナショナル・シアター4代目の芸術監督)の指揮のもと、ジョン・ケアードがサイモン・ラッセル・ビールを主演に迎え「ハムレット」を公演。リトルトンで幕を開けたこの公演は、ヘルシンゲルやイギリス各地のみならず、世界各国をまわった。現在の芸術監督であるニコラス・ハイトナーが演出したものが、今回の「ハムレット」。2010年10月7日、オリヴィエで始まった公演は、各地での公演とナショナル・シアター・ライヴとしての上映を経て、リトルトンで再公演が行われ、過去のナショナル・シアターのどの作品よりも多方面から、観客を集めている。


オセロ
エイドリアン・レスター主演

 Introduction 1604年11月、ジェームズ1世の宮廷で、国王の使用人たちによって初めて演じられた「オセロ」は、これまで何世代にも耳り公演され続けてきた。ナショナル・シアターで公演された最初の「オセロ」は、1964年。ジョン・デクスターが演出を手がけ、ローレンス・オリヴィエ(ナショナル・シアターの初代芸術監督)がオセロを、マギー・スミスがデズデモーナを、それぞれ演じた。デイリー・エクスプレス紙は、この公演のチケットを“ロンドンで最も入手困難な紙」”と表現した。オリヴィエの演技は大きな賞賛と少しの批判を受けたが、ナショナル・シアターの歴史に確かな足跡を残した。1980年、ナショナル・シアターの2代日術監督ピーター・ホールが演出した「オセロ」では、ポール・スコフィールドとフェリシティ・ケンダルが、それぞれオセロとデズデモーナを通じた。そして、1997年。サム・メンデスは、デヴィッド・ヘアウッドとサイモン・ラッセル・ビールを起用し「オセロ」を演出した。この公演は、ザルツブルク・フェスティバルからスタートし、後にコッテスローへ移動、来日公演も行われた。メンデスによると、最初のオセロの候補はエイドリアン・レスターだったという。現在のナショナル・シアターの芸術監督であるニコラス・ハイトナーは、2003年にそのエイドリアン・レスターと「オセロ」について最初の相談をした。しかし、今回ご覧いただく公演がオリヴィエで上演されたのは、その10年後だった。シェイクスピアの悲劇を、より政治的要素に満ちた物語として解釈したハイトナーの「オセロ」では、かつてハイトナーに主演を任せられたエイドリアン・レスター(「ヘンリー5世「2003年)とロリー・キニア(「ハムレット」2010年)が起用され、それぞれオセロとイアーゴーを演している。Story若く美しいデズデモーナと結婚したオセロは、大きな軍事作戦の指部を詰ることとなった。リーダーとなったオセロは、自身が目をかけているカシオを昇進させる。ライバル関係であるカシオに後れをとったイアーゴーは、自分を評価しようとしないオセロに復讐をするため、カシオとデズデモーナが密通していると耳打ちする…。イアーゴーの巧みな計略により、オセロの心に植えつけられた疑念は膨らみ続ける。嫉妬に駆られ、怒りを抑えきれなくなった彼は、とうとう最愛の妻・デズデモーナにその矛先を向けてしまうのだった。


 この作品群のなかで、もっともわたしにぶっ刺さったのはサイモン・ラッセル・ビールの『リア王』である。「老いた王が判断を誤ってひどい目に遭って後悔する」くらいの雑な認識でいたのだが、開幕ほどなくして、ああ、と思った。あまりにも見覚えのありすぎる姿だった。

 ああ、リアは、病を得ているのだ。

 サイモン・ラッセル・ビール演じるリアの立ち姿だったか、体の動かしかただったか、不安定な情緒が噴き出す有様だったか。どれもあまりに的確だった。ハッとする、までもない。ほんとうに、ごくごく当然のように、わたしはリアが病気であることを「思い出す」くらいの感覚で理解した。父に、ものすごく似ていたからだ。

「老いた」王が「判断を誤る」、こう書いてみれば自明のようだ。だれにでも起こる可能性のある、認知機能の衰え。二幕冒頭に流れたインタビューでは、サイモン・ラッセル・ビールが参考にした患者の具体的な病名も挙がった。それは父の診断名とは異なるが、症状に重なる部分があるため、よく目にとまるものだった。そしてわたしが揺さぶられたのはリアを父に重ねたからではない。わたしは、わたし自身を次女のリーガンに重ねていた。

 劇中のリーガンは、リアを愛していないくせに、派手なパフォーマンスでそうであるように見せかける。そして愛するふり、の必要がなくなれば、いくらでも残酷に振る舞う。とても身に覚えがあった。

 父がまだ健常な機能を保ってるようにみえていたころ家族の一大事が起きて、そのとき、父は母とわたしの焦燥をまったく共有してくれなかった。いまから思えば病のせいで、事態を理解把握しづらくなっていたのだろう。でも当時のわたしにとって父のその態度は、あまりに無情だった。この人は母が、わたしが大事に愛するものを、同じようには愛していない。おそらくは母の、わたしのことだって愛してはいない。ならば自分がこの人に親愛の情を持たなくても、まったく悪くないだろう。その一件以降、わたしの父への態度はある意味おだやかになった。

 そういう状況にあって、劇中のリーガンの態度が、わたしにはこうみえた。「自分を10も愛していない父が100寄越せというなら、自分は0を200にも見せかけてやろう」。その気概に惚れ惚れと共感して、とにかくリーガンに惹きつけられた。(……まあ彼女はその後ケント伯を大胆に足蹴にしたりいつのまにかエドマンドに懸想というか発情しててお姉ちゃんのゴネリルと「夫よりいい男」の取り合いみたいなノリになっていくんですが……なんでぇ……)

 わたしはいちばん扱いにくかった時期の父に対して、母よりも忍耐強く誠実に接していたようにみえただろう。それは単に「あしらい」がうまかっただけであり、父への慕わしさをないものにしたからこそとれた態度だった。冒頭のリーガンの振る舞いもそれと同じだったろう。

 そんなわけで、雪をおして出かけたところからはじまったナショナル・シアター・ライブ日本版の、初年度はとりわけ思入れ深い。翌2015年以降は、すべてに通うことはできなくなった。なんでだっけなあと確認したら、2015,16,17年はさきにあげた被介護者のだれかしらが亡くなっている。父は2016年に、そしてあの雪の日に入院していた祖母が逝ったのは、すこしあいて2021年のことだった。いまはもう全員いない。それはしがらみを手放していくことでもあったけど、やはり人が死ぬとやることは多いし、わたし自身も不調があって仕事をやめたりなんだり新しい仕事に就いたりやっぱりやめたりして、そのまま賃労働には就いていないし、かつてのスキあらば出かける! みたいな旺盛さは減じつつある。

 そしてなにより2020年からは、COVID-19である。ところでわたしには兄がいる。2014年当時もいまも同居中で、「家族の一大事」のときはひとり暮らしだった、一大事の当事者だ。そのときの結果として右前腕がない。その兄は当時もいまも職場は変わったものの福祉施設に勤務しているので、同居の母やわたしがCOVID-19にかかり、兄を経由して施設で蔓延させるわけにはいかない。そう考えて、わたしたちは2020年3月以降、通院以外で公共交通機関をつかった外出をしなくなった*6。これはいまでも継続中で、そうしたほうがいい状況にあり、それが可能だからしているまでで、だれもがこのレベルで蟄居していたら社会が立ち行かない。ただCOVIDにかぎらず感染症流行期には、ユニバーサルマスキングを実践してほしいなあとは思っています。冬場は顔もあったかいよ。

 現状、ナショナル・シアター・ライブに限らず、劇場や映画館でのあらゆる体験から遠ざかっている。COVID-19以降に増えた舞台作品のライブ配信がほんとうにありがたい。ナショナル・シアター作品については、家で英語字幕つきでみる方法がないではないとうっすら把握しているが、自宅であの劇場での集中力を発揮できる気がしないので、とりあえずは保留である。しかしまるで道がないよりは、いざとなったらおうちでナショナル・シアターという選択肢があるのは心強い。もう10年あとには配信でも日本語字幕つきが実現しているかもしれないし。そんなことを思いつつ、いまはSNSなどでみなさんの感想をつまみぐいするばかりである。

 あす12月9日の更新は麻さんのエッセイ、まさにうえにあげた National Theatre at Home の話題が読めそうです!

*1:ナショナル・シアター・ライブ日本版公式サイトhttps://www.ntlive.jpより

*2:舞台が上演されたのは2011年。カンバーバッチは2010年から放送開始のイギリスBBCのドラマ『SHERLOCK』にて、ミラーは舞台の翌年2012年から放送開始のアメリCBSのドラマ『エレメンタリー』にて、それぞれシャーロック・ホームズを演じている。したがって両者ともに「シャーロック俳優」と呼ぶのは舞台上演当時は使えない文句である

*3:記事公開後追記、チケットぴあでの販売を知らせる記事がまだ読めた。http://www.moon-light.ne.jp/news/2014/01/nt-frankenstein.html

*4:フランケンシュタイン』以降は当時オープンしたてだったTOHOシネマズ日本橋に通った。コレド室町は物価が高くて苦手です

*5:SOLD OUTですが公式販売ページhttps://movieprogram.official.ec/items/7506751

*6:ちなみにそれでも母が2022年夏に罹患しました