キテキ

はづき真理のブログ

こつこつ用事をこなしている(追記あり)

しかし現在、夕飯後にびみょうにお腹いたを起こして横倒しのままである。

紅葉しかけのハナミズキの葉とつやつやに紅い実

おそいお三時(ほぼ四時)にドーナツとか食べたあと、さほど間をおかず夕飯をいれたからですかね…… 舌の欲求を押しとおしてしまい、胃腸が「だから無理だっつってんだろ」と不貞腐れているのかもしれない。適量を食べなさい、適量を……

毎日、なにかしら用事を果たすため外出したりなんだりしている。自分にしてはすごい。小さな達成を積んでいきたいですね。おなか痛いな。

そういえば子どものころ、自分は人間とは1日1回、体のどこかしらが痛くなるものだと思っていて、中学のときだったか「そんなことはない」と友人にいわれたときも「みんなが痛覚鈍いだけなのでは」といぶかしんでいました。頭もおなかも胸も脚も痛くならないの⁉︎ ほんとに⁉︎ って感じ。

当時、特になんらかの疾病の診断を受けたことはありません。もしかしていまなら起立性調節障害とかいわれるかもしれない。自分がラッキーだったのは、母が「この子はたびたび具合が悪くなる」と、「そういう子」だと認識したうえで、学校を休みたいときは頓着せず休ませてくれたことです。むりに登校を求められていたら悪化したかもしれないな、と思う。父はたぶん甘やかすな、といってたんだけど、子に嫌われたくないのでわたしに直接「指導」はしない人だった。ていうかそういう、「子への小言」は母にやらせようとする人だったけど、母はそういう事情をわたしにバラす人でもあったので、わたしの父への心証がさがっただけである。

でもこれ、もうひとつのラッキーは、自分が学力に問題なかったってところで、もし勉強が遅れぎみだったらさすがに母も焦ったと思う。おかげで生(き)の自分のまま生き延びることができたけど、エイブリズムに救われてしまった、ともいえるかもしれない。「成績が悪くたびたび休みたがる子」だった場合の自分は、どうなっていただろう。

(ここから追記)腹痛のせいにしてしまうが、ここで投げっぱなしの「〜だろう」はよくなかった。そのさきの考えまで言語化する必要があった。「成績が悪くてたびたび休みたがる子」である自分がそのままで生きられる、親である母が「このままじゃこの子はどうなるだろう」と心配を抱える必要のない、そういう社会であってほしい。そういう方向に進んでほしい。(ここまで追記)

19時すぎから中断しつつ書いてきて、おなかはずっと痛いです。きょうあったことを記そうとした標題なのに、ぜんぜんちがう話をして終わる。