漢数字と算用数字の運用が定まっておりません。
去年の八月に母がCOVID-19陽性診断された。なので隔離期間中(当時は十日だったか)、福祉施設勤務の兄は家に帰らず、家での母の行動範囲は居室とドアをあけてすぐのお手洗い、夜の歯磨きのときだけ洗面所、という運用をしていた。そしてその後の我が家では水回りの共有手ふきタオル類を撤廃し、各自の歯磨きセットもふだんは各自の居室で管理して使うときだけ持ってくる、ということにしている。
というわけで洗面所にはうがい用に紙コップが常備されることとなった。
きのうからこれです。ダイソーで買ったハロウィン仕様。
ふだんはセリアの海モチーフ柄200㎖を中心に、マリメッコ風の柄をモノクロにしたやつだとかくすみカラーアソートとかが用意される。というかここに色柄もの紙コップを補充するのはわたしだけなので、わたしの気力が繋がってるうちは、なんだけど。白無地のプレーンな紙コップが登場することもあるが、たぶんここふた月以上は色柄もののままだ。
外出から帰って毎回うがいをするのは兄と母で、自分はのどに違和感ない場合はしない*1。なのでここに自分の好みを反映させる意味はあまりないのですけど、なんとなく……
こういうものと併せて使っています。
十月折り返しと書いたけど折り返しはきのうかな? まあいいや。
自分の抱える「ぶきみ」さを「『薄目でみてしまう』こと」というエントリー*2に書いて以降、旧Twitterでパレスチナ関連アカウントのフォローを増やし、タイムラインは否応なく悲痛な現実になった。これまでほぼ使うことのなかったリツイートをしながら、自分の生活を揺るがせにしないこと、を、mastodon とのSNS複数づかいで実現するのも、なにか「切り分け」してるようかなあ、などと惑う。mastodon のタイムラインでも話題はブーストで流れてくるが、そこに自分の日常トゥート(いまブーストとトゥートってはじめて使った)もまぜこんでいる。旧Twitterではもうあまり、自分の日々のことは放流したいと思わない。
これはきょうお昼ごろのコガモ。
iPhoneカメラのズームに限界があるのでわかりにくいが、向かって右の三羽はたぶん寝ている。カルガモもそうだが、カモのくるまりの姿勢というか、首をお尻のほうにむけ背なかに顔をうずめて寝てるようす、あれはかわいい。あのかたちのブローチとかほしい。