キテキ

はづき真理のブログ

手放さないこと

朝から天気が雷で、目が覚めてびっくりしてふとんから出ないことにしました。

でもそのうち晴れたので起きてふろを浴びた。

きのう夜に、以前サイトから寄付した際にメルアドを登録したからだろう、UNRWA (国連パレスチナ難民救済事業機関)からメールが来ていた。Gmailアプリ上の「日本語に翻訳」をタップして、読んで、心がざわざわした。

地理的に距離があるというだけで、自分の体が無事でいられることのぶきみさを、きょうもまた考えていた。思考を手放さないこと、と、近年よく自分でつぶやいているのだけれど、ただことばを繰っているだけで、これは果たして思考なのかな、と、情けないような気分になることもある。そういうことに足をとられつつ、上に書いたぶきみさ、理不尽さ、について考えていた。

以下にメール冒頭のスクショと、自動翻訳の日本語を載せます。

Gmailアプリの画面スクショ、英文

「これからの世代は、私たちがこの人類の悲劇がソーシャルメディアニュースチャンネルを通じて繰り広げられるのを見てきたことを知るでしょう。知らなかったとは言えなくなります。歴史は、なぜ世界が断固として行動し、この地上の地獄を止める勇気を持たなかったのかを問うことになるだろう。」フィリップ・ラッザリーニ、UNRWA長官


私が皆さんに書いているとおり、ガザ地区では暴力が絶え間なく続いており、包囲戦は今も続いており、人々の苦しみは最高レベルに達しています。

現場の状況を説明する言葉はもうありません。 10月7日以来、ガザ地区の私たちの同僚たちは、ガザの人々を助けるために文字通り全力を尽くしています。ガザ地区全域で50万人以上の避難民が私たちの施設に避難している一方で、私たちの医師は毎日4,200人の患者を訪問し、約8,900人が心理社会的サポートを受けています。

これまでのところ、ガザ地区に入ったのは食料と医薬品を積んだ人道支援の非常に限られた数の船団だけだ。しかし、重要なライフラインである燃料が不足しています。

病院、淡水化プラント、パン屋、UNRWA のトラックや医療移動部隊に燃料を供給し、ストリップ全域で最も支援を必要としている人々に援助を確実に届けます。

燃料の補給がなければ、私たちは操業を縮小するか停止するかという苦渋の決断を迫られることになりますが、これは誰も選択すべきではありません。

私たちの声を世界中に届けるためにはあなたの助けが必要です。

UNRWAに参加して、燃料、食料、水、医療品、その他の必需品を含む重要な物資をガザ地区に届けるための、安全で妨げのない継続的な人道援助回廊の構築を求めてください。 私たちの投稿をFacebookInstagram 、 Xで広く共有し、人道的大惨事の防止とガザ地区の人々との連帯を示す私たちの呼びかけを広めてください

(名まえ)さん、あなたの支援がギャップを埋めることができ、ガザ地区におけるUNRWAの重要な活動を確実に継続することができます。

連帯と多大な感謝の気持ちを込めて、

ヤスミン・エル・マグラビ UNRWA デジタル募金チーム


今年2月に邦訳出版された本(元の論文集は2019年刊)を読みはじめていて、訳者のことばで、いま起きていることを自分の理解の範疇に手繰り寄せている。

ヨーロッパ文化学科 小森謙一郎 教授 訳『ホロコーストとナクバ——歴史とトラウマについての新たな話法』が刊行されました | 武蔵大学


本書はいわゆる歴史書ではありません。扱われているのは過去ではなく、現在だからです。ホロコーストは過去の出来事ですが、ナクバは現在なお続いています(逆にナクバを通じてホロコーストがなお続いているとも言えるかもしれません)。

たとえば、Huwwaraという単語をインターネットで検索してみてください。焼き討ちにされた村の画像やニュースがすぐさま見つかるはずです(「水晶の夜」が想起されます)。1948年ではなく、2023年の出来事です。しかもつい最近、2月末のことです。追放、略奪、占領、殺害などは、今現在も行われているのです(そしてむしろ激化しつつあるのです)。

にもかかわらず、日本を含む国際社会がほとんど介入できないのはなぜなのか、それどころか新聞やテレビで取り上げられることさえないのはどういうことなのか、ネットの向こうの現実は本当に自分たちとは無関係な遠い国の縁のない出来事なのかどうか、本書を通じてぜひ考えていただけたらと思います。(小森謙一郎)


つまり、かつて絶滅を目論まれたひとたちの国家が、いまべつのひとたちを大量虐殺しようとしているのだということ。

この途方もなさを、歴史はくりかえすだとか人間は愚かだとかいう、そういう「概括」みたいな語で語ることを、わたしは自分に許可していない。

こういうことを抱えながら、母が掃除機がけしたあとをクイックルワイパーで追いかけ、昼には賞味期限が数日過ぎてる鍋焼きうどんを食べ、午後に眠くなって横になったらかなりずどんと夕方5時近くまで寝てしまい、起きあがって夕食の準備をした。

わたしは独立した個人なので、世界でとほうもない残虐が起こっていても、地理的に離れていて自分の体が安全だから、自分の生活が営める。これが可能なぶきみさは、厭うべきことではない。たぶん個人というものは最大単位であるのに、なぜか国家や民族といったより小さな単位のほうが大きいとされており、その大きいとされているものに帰属することが支配的だから、こういうことが起こってしまう。

そういうことを、考えつづけています。

そして行動しているひとたちもいて、各自が各自の「持ち場」とした場所で、意思を示すこと、その営みをやっていくしかないのだと思います。


空爆という大虐殺をやめろ!イスラエル大使館前で150人がダイ・イン